
「わたしのマンスリー日記]」 第33回 「科学の芽」賞の眼(め)─科学する心
2 附属学校への危機感
その背景には当時の附属学校に対する危機意識がありました。筑波大学の附属学校はいずれも近代の日本の教育をリードしてきた実績を持つ学校です。しかしそれ故のひずみも生じていたことも事実です。最大の問題は各学校と大学本体との連携が希薄になっていたことでした。これには地理的な条件の要因もありました。大学本体は茨城県にあるのに、附属11校は東京都・千葉県・埼玉県・神奈川県に点在しています。よほどしっかりした管理局を設けないと潤滑な運営は望めない。それが附属学校教育局を設けた趣旨でした。
私が教育長としてまず取り組んだのは、筑波大学の附属学校の実態を内外に発言することだと考え、『ポローニア』という小冊子を季刊で発行することにしたことです。さらにその延長として全附属学校の沿革と指針をまとめた『日本の教育を拓く一筑波大学附属学校の魅力』(晶文社、2006年)を出版しました。これは私の発案でしたので、原稿依頼から校正まで全て1人でやり抜きました。この本の出版で附属学校間の相互理解が深まり、結束力も強くなったように感じました。
次に考えたのは、附属学校の教員の筑波大学の所属意識を高めることでした。そのためには教育局と附属学校との心理的距離感を縮めることが必要でした。その対応策として附属学校の教員を教育局所属の教授に抜擢する策を立て、ここに教育長を支えるピラミッド型の組織ができ上がったのでした。附属小学校から坪田耕三先生、附属駒場中高から小林汎先生という強力な助っ人を得て、教育局は息を吹き返した感じがしました。そして究極的に目指したのは、大学主催の行事に附属学校の教員に参加してもらうことでした。その先鞭をつけたのが「科学の芽」賞だったのです。
実はこの他に附属学校の教員が全学挙げての一大プロジェクトに貢献したケースとして、教員免許状更新講習がありますが、長くなるので割愛することにします。

